石渡宏道のひとりごと 代表コラム

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鶴見

昭和43年に鶴見の地に就職して以来、鶴見とのかかわりは40年を超えました。

私はもともと大田区西六郷の出身ですが、鶴見との縁は浅からずあり、何かにより引き寄せられたような気がしています。父方の祖母の出が鶴見区潮田町と叔母の一人が潮田町に嫁いでいるので、子供のころから時々鶴見に遊びに来ていました。鶴見に就職することには何の抵抗もなく馴染むことができたのも先祖のおかげかもしれません。

当時の鶴見は高度経済成長の下、京浜工業地帯の中核的な地域として隆盛を極めていました。ただ、その反面公害による海側は灰色の空であったことが強烈な印象でした。

そもそも鶴見は、古くは漁業を生業にしていた地です。地理的には、横浜市の東の入り口になりますが、歴史的には鎌倉の表街道の役割を果たしていました。
かつて、鎌倉幕府は上州や常総方面からの軍団が鎌倉へ進攻するにはこの首筋のような海沿いの狭い土地を通るしかないと読んでいました。そこに鶴見川、多摩川があり、鎌倉幕府は早い時期から積極的に表街道のこの地を中心とする南武蔵の低地開発を推し進めました。これが後に東海道につながっていきます。

こうした現在に繋がる開拓の歴史は、海浜部の干拓とともに鶴見の歴史の特徴をあらわしています。現在の臨海工業地域として繁栄する街の発展の要因はここに見られます。

江戸末期、鶴見の生麦でいわゆる生麦事件が起きます。これも鎌倉の気風を何よりも重んじる誇り高い薩摩士族が起こす殺傷事件ですが、ここから歴史が大きく動き、近代国家成立の発火点となることになります。

また、曹洞宗大本山総持寺は、明治以降の建立で比較的新しく、鎌倉幕府と道元禅師の深い因縁から、鎌倉表の鶴見に建立された説もあります。

鎌倉と鶴見の関わり、鶴見と近代国家の幕開けは歴史の偶然なのか、はたまた必然なのか。十分な根拠を持ちませんが、鶴見の存在が、その時その時に果たした役割は間違いなくあると思います。

私個人も鎌倉(仏師の父の遺作がある地)、多摩川(生まれ育った所)、鶴見(現在の職住の地)の繋がりはとても偶然とは思えません。この地で仕事をする必然性が感じられるこの頃であります。

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